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東京高等裁判所 昭和49年(う)1244号 判決

被告人 栄敏孝

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人松沢宣泰の提出した控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事宮代力の提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

控訴趣意第三点および第五点のうちの理由不備を主張する論旨について。

所論は、原判決は、被告人は、本件塩酸エフエドリンが劇薬であつて、常用すれば中毒となり習慣性の出る危険があるため、他に譲渡できないものであることを知りながら、これを朴春憲に譲り渡したものであることが認められるので、たとい、被告人において、本件塩酸エフエドリンが覚せい剤取締法所定の覚せい剤原料に該当することを知らなかつたとしても、被告人の本件犯行につき故意の認定を妨げるものではない旨判示するけれども、覚せい剤原料譲渡の罪については、譲り渡した物が覚せい剤原料であるか、または、そうであるかも知れない旨の認識がなければ、故意があつたとはいえず、また、右認識の有無を判決理由の中で明示することが必要であるのに、これをしないで、単に右のような判示をしながら覚せい剤原料譲渡の罪の成立を認めた原判決には、理由を付さないか、理由にくいちがいのある違法がある、というのである。

そこで、原判決の全文についてその趣旨を考察すると、原判決は、まず、その(罪となる事実)の部分において、被告人は原判決粉末(塩酸エフエドリン)が覚せい剤原料であることを認識しながらこれを譲渡した事実を認定判示し、次に、弁護人の、被告人は本件塩酸エフエドリンが覚せい剤原料であることを知らなかつたから本件犯行の犯意がなかつた旨の主張に対し、仮定論として、所論指摘のような判示をしているものと、解するのが相当である。

ところで、昭和四八年法律第一一四号による改正前の覚せい剤取締法第四一条の四第一項第八号、第三〇条の九の定める覚せい剤原料譲渡の罪の犯意としては、譲り渡した対象物が覚せい剤の原料であることの認識があることを必要とし、原判決が前記弁護人の主張に対し仮定論として判示しているような程度の認識では足りないものと解すべきであるから、原判決は、右判示部分に関する限り、所論のように法律の解釈を誤つているものといわなければならない。所論は、この点を捉えて、原判決には理由を付さないか、理由にくいちがいのある違法があるというけれども、前段で考察したとおり、原判決は、その(罪となる事実)の部分において、被告人が本件犯行の犯意を有していた旨を認定判示しているのであるから、右のように原判決が仮定論として判示する部分の中に法律の解釈を誤つた点があるとしても、未だ原判決の犯意に関する判示につき理由を付せず、または、理由にくいちがいのある違法があるものということはできない。

また、所論は、塩酸エフエドリンにはこれを常用しても中毒となり習慣性の出る危険がないのに、原判決は、被告人が右危険があることを認識していたから本件犯行の犯意がある旨論理の矛盾した判示をしており、この点において、原判決には理由の不備ないしくいちがいの違法がある旨主張し、当審証人保刈成男、同本橋信夫の各証言によれば、塩酸エフエドリンは常用による習慣性を認められないこと所論主張のとおりであるが、他面、原判決のいうように、それは劇薬であつて常用すれば中毒となる危険性もあることが認められ、右習慣性に関する判示を除いても、原判決の説示するところは一応その根拠を有するのみならず、右判示部分は前記のように仮定論として述べられたものと解されるので、その中に妥当でない説示が含まれているからといつて、必らずしも理由の不備ないしくいちがいの違法があるということはできない。

結局、論旨は理由がない。

控訴趣旨第一点ないし第三点および第四点のうちの事実誤認および法令適用の誤りを主張する論旨について。

所論は、被告人は、本件塩酸エフエドリンが覚せい剤の原料であることを知らなかつたし、原判示のように、それを常用すれば中毒となり習慣性の出る危険があること、および、その譲渡が禁止されていることも知らず、本件犯行が成立するために必要な事実の認識および違法性の意識を欠いていたから、被告人に本件覚せい剤原料譲渡の罪の犯意があつたとして同罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認ないしは法令の適用の誤りがある、というのである。

しかし、原判決の挙示する各証拠および当審において取り調べた各証拠を総合すると、被告人は、本件塩酸エフエドリンを朴春憲に譲り渡す際、それが覚せい剤の原料であつて、同人に譲り渡すことが許されないことを知つていたこと、すなわち、被告人には本件犯行の犯意があつたことを優に認めることができる。

すなわち、被告人は、捜査段階から当審公判廷に至るまで一貫して本件物件が塩酸エフエドリンであることは知つていたけれども、それが覚せい剤の原料であることを全く知らなかつた旨弁解するけれども、原判決が挙示する各証拠ならびに当審における証人保刈成夫、同本橋信夫および被告人の各供述、検察事務官作成の昭和四九年一〇月八日付報告書(二通)の添付の新聞記事(写)を総合すると、塩酸エフエドリンは、内科医が鎮咳剤などとしてかなり一般的に使用する薬剤であつて、塩酸エフエドリンが覚せい剤の原料である事実は、両者の化学構造が極めて似ているうえ、その薬理作用も似ており、また、右事実がしばしば新聞等に報道されてきたこともあつて、内科医にとつてはかなり知られた事実であるところ、被告人は、昭和二四年ころ医師免許を取得して、日本大学付属病院に内科医として勤務した後、昭和二八年ころから現住所で内科、小児科医として開業している者であつて、とくに覚せい剤の密造、密売が著しかつた右開業時から昭和三五、六年までの間、塩酸エフエドリンの薬理作用などにつき文献などにより調査、研究したうえ、これを鎮咳剤として使用していたものであることが認められ、右事実によれば、被告人は本件犯行当時それ以前に得た知識により塩酸エフエドリンが覚せい剤の原料であることを知つていたものと十分に推認することができ、被告人の前記弁解は右のような情況証拠に照らすと容易に信用することができない。

そして、被告人において本件塩酸エフエドリンが覚せい剤原料であることを知つていた以上、それをみだりに他に譲り渡すことが許されないことを知つていたものと推認され(なお、被告人自身捜査段階から原審公判廷に至るまで、本件塩酸エフエドリンが劇薬であつてみだりに他に譲り渡すことが許されないことの認識があつたことを認めている)、以上の事実によれば、被告人に本件犯行の犯意のあつたことが明らかであり、被告人の本件所為に原判示の法令を適用した原判決は相当であるというべきである。

なお、原判決が、被告人において本件塩酸エフエドリンを常用すれば中毒となり習慣性の出る危険があることを認識していた旨認定している点については、所論の指摘するとおり、本件に顕れた証拠によつては、右事実を認めるに不十分であり、また、原判決が、被告人において本件塩酸エフエドリンが覚せい剤原料であることを知らなかつたとしても、塩酸エフエドリンについての原判示の知識を有している以上、故意の認定を妨げるものではない旨判示している点は、覚せい剤原料譲渡の罪の犯意についての法律解釈を誤つたものであるけれども、本件においては、さきに判示したとおり、被告人は本件塩酸エフエドリンが覚せい剤原料であることを知つていたものであつて、本件犯行の犯意に欠けるところはないのであるから、弁護人の主張に対する仮定論的判断の中における右認定および法律解釈の誤りは何ら判決に影響を及ぼすものではない。

したがつて、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認、法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第六点の量刑不当を主張する論旨について。

所論は、被告人を懲役一年、執行猶予三年に処した原判決の量刑は、被告人を罰金刑に処さなかつた点において不当に重い、というのである。

しかし、本件は、被告人において医師の地位を悪用して入手した五キログラムという多量の覚せい剤原料である塩酸エフエドリンをみだりに他に譲り渡したというものであつて、所論のとおり、被告人は、右塩酸エフエドリンが韓国の製薬会社で使用されるものであつて、悪用されることはないものと信じてこれを譲り渡したものであるとしても、医師としてきわめて軽卒であつたという他はなく、また、このように多量の塩酸エフエドリンが覚せい剤に密造されて濫用された場合に及ぼす害毒がきわめて大きいことにかんがみると、被告人は前科、前歴が全くなく、本件についても反省しており、再犯の可能性も少ないことなどの被告人に有利な情状をしんしやくしても、本件は所論のように罰金刑をもつて処すべき事案であるものとはとうてい認めることができず、原判決の量刑が不当に重いということはできない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により、被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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